すべての物質は毒である。毒でない物質は存在しない。ある物質が毒となるか薬となるかは用いる量による
医療化学者の父、錬金術師とも呼ばれたパラケルススの言葉である。(悪魔使いであったという伝承もあるらしい)(ハガレン感あってわくわくする)
これは、アウトプットに対する"編集"にも当てはまると思った。
ちなみに編集とは、文字情報の編集だけでなく、デザインやプログラムのレビュー、ドキュメント、提案書、経営、コミュニケーションなど、アウトプットに対する他者からの評価と修正案を"編集"と考える。
編集に限界なし
結論から述べると、編集に限界はない。これは超大事であり、忘れがちなファクト。つまり、いき過ぎた編集は毒である。
基本的に僕らはいつだって初心者だ。学習も運動も外部リソース(人や本)から学び、成長していく。仕事も例外ではない。自分より多くを知る上司や先輩、優秀な同僚、本やwebから学んでいくのが仕事である。その先にアウトプットがある。
しかし、初期のほうのアウトプットは基本的に質が悪い。それ対して、編集が入るのが常である。(起業して1人の場合はユーザーや市場が編集者と言えそうである)ただしそこで、「編集に限界はない」というファクトを思い出す。このファクトを忘れると、その編集は毒に変わり、単に編集者の世界線に持って行かれるだけの可能性が高くなる。意図的に編集者の世界線に入っていくのは良いとして、気づかずに持っていかれるのは危険だ。
編集者の世界線に持っていかれた人は、もはや正しいアウトカムのためではなく、編集者の赤入れをゼロに近づけるためのアウトプットを努力してしまうリスクがある。
本質・ポリシー・仮説
では、常に編集者がいる状況下で僕らはどうするべきか。アウトプットに対して、本質・ポリシー・仮説を持つことが大事そうだ。
本質
文字通り、物事や現象の本質である。プロダクトを開発する上で最重要なのは、ユーザーへ価値を提供しユーザーがハッピーになることであり、上司や経営陣を納得させることではない。あくまで絶対的に正しいのは本質であり、編集ではない。あくまで本質の上で外れている部分を発見する手段が編集であり、編集者の世界線に従うことは多くの場合正しくない。
ポリシー
ポリシーとは自分自身の現時点での前提であり、軸である。ポリシーXの基にアウトプットするのである。アウトプットを編集・修正する際は、ポリシーに沿うべきであり、そもそもポリシーを覆したほうが良い場合はポリシーをアップデートする。何を基にアウトプットして、何が間違っていて、何を修正したのかを常に可視化するのに役立つ。ポリシーがない場合、判断は曖昧になり、自分自身はカオスになる。
仮説
仮説は予測でもある。どのような編集をされるか予測する、仮説立てるのが重要だ。つまり、自分自身もまた編集者なのである。他者の編集者がいる状態はただのオプションであり、目指すのは自分自身のパワーで良いアウトプットをすることである。また、「仮説→編集→修正→アウトプット」のサイクルの中で仮説があるとないとでは、成長の速度に雲泥の差がである。
常に「編集に限界はない」を忘れずに、猛進していきたい。
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